澪 合評会
澪恒例の合評会を行った。いつもと違うのは、同人のほかに私のエッセー教室の生徒さんを特別に招いたことだ。彼は主に短編小説の書き方を学びに教室に通ってきている若者で、これからの人だ。私の方から彼に「澪の合評会があるから来ないか?」と誘い、実現した。
彼の実力からすると厳しすぎる批評もあったと思われたが、創作には「厳しさ」や「忍耐力」も必要とされる。同人たちの愛のムチにへこまずに、逃げずに、立ち向かってほしい。
彼の発奮を望んでいる。
(石渡)
「澪」 合評会に参加した同人の感想など
澪恒例の合評会を行った。いつもと違うのは、同人のほかに私のエッセー教室の生徒さんを特別に招いたことだ。彼は主に短編小説の書き方を学びに教室に通ってきている若者で、これからの人だ。私の方から彼に「澪の合評会があるから来ないか?」と誘い、実現した。
彼の実力からすると厳しすぎる批評もあったと思われたが、創作には「厳しさ」や「忍耐力」も必要とされる。同人たちの愛のムチにへこまずに、逃げずに、立ち向かってほしい。
彼の発奮を望んでいる。
(石渡)
前出の同人の衛藤氏と共に、澪26号の合評会に出席しました。石渡先生のエッセー教室の生徒さんの作品を読ませて頂いて、私が20歳だった頃はどう逆立ちしても書けない(今でもそうですが)ストーリー、会話のテンポ、文章の確かさに舌を巻きました。
ストレートで、読後感が爽やかで、やはりこの年代の人の感性でなければ書けないな、と思わされる作品でした。
(ん)
2025年10月13日(月)は恒例の合評会の日でした。場所はもちろん、希望ヶ丘地区センターです。わたしは、静岡県御殿場市から毎回通っているのですが、もうカーナビがなくても地区センターまで来られるようになりました。さすがに道を憶えてしまったのです。と同時に、いままでぼんやりとしかイメージできなかった横浜市の区画(という言い方が適切かは不明ですが)も、わりと明瞭に想起できるようになりました。
それはつまり地図が描けるということ。
では、地図が頭のなかで描けるとなにが変わるかというと、点から点の距離感がわかり、それに併せて、距離に応じた所要時間も計算できるようになるのです。そのおかげで、とっても気分がラクになりました。
そんな感じ(?)で、無事に地区センターに到着し、合評会がスタートしました。今回は、同人の柏山さんが欠席ということでしたが、編集長である石渡さんが講師を務めるエッセイ教室の生徒が特別に参加されました。彼は自作の小説を持参されていました。合評会のついでに、その小説を我々同人が読み、感想や意見を述べる、という“もう一つの合評会”を催した、というワケです。
彼は二十歳の青年だったのですが、私は、彼の作品の内容云々よりも“二十歳で一遍の小説を最後まで書き上げた”という、その揺るぎない事実に感服しました。これは、なかなかできることではありません。自分の過去を思い出してみると、二十歳のときに、小説を書こうなんて思いもしなかったし、仮に書いていたとしても、最後まで書ききれていないはずです。彼は、創作し、それを他人に読ませたのです。彼の、このクリエイティブな一連の営みは、とてつもない財産になると確信します。すばらしい。
そんな感じ(二回目)で、長くなったので、拙作に対する感想は飛ばしますが、どんな書き手にも門戸を広げて、その功績を讃え、かつどんな作品でも皆で深く味わうことができる……それが文芸同人誌『澪』の合評会だと、これまた再認識した次第です。新たな書き手を待っています!
(衛藤)
2025年4月29日(土)に恒例の合評会を開催しました。今回は、最新号である「澪」第25号について、同人各自がそれぞれの読後感や意見を発表し合いました。この合評会に先立って、同人同士でメール文書を用いた意見交換をしました。つまり、メール&面談という「2段階」で感想が聞けるという、わりと贅沢な(?)イベントとして「澪」では定着しています。といっても、全員が強制参加する必要性もなく、参加は各々の任意となっています。
そんななか、忘れてはいけないのは、なんといっても同人が自分の作品の一番の読者だということです。
合評会で真剣に意見交換をするために、同人たちは、だれよりも真剣に各作品を読んできます。必然、白熱する場になります。これは商業的な意味合いの討論ではありません。つまり「面白いか・面白くないか」ではなく「どういう意図でこの作品を書いたのか・作者のどういう想いが作品に込められているのか」という、わりかし、同人の内面を深掘りするような質問が飛び交いますし、また、そんな応酬を期待している部分もあります。皆で一冊の「本を作る」という共通の目標があるからこそ作者個人の「気持ち」の部分をはっきりとさせたくなるのかもしれません。同人は作品を通じて、心のつながりを求めているのです。なので、作品の評価に対して、満足だったという意見もれば、不満だったという意見も、当然のように出現します。全会一致にはならない。それゆえに、商業誌ではないからこその、一途な「不完全さ」が次の創作のモチベーションとなり、次いで、たゆまない進歩を期待してしまうのでしょう。
そう考えると、文芸同人誌がもたらす「幅」は、無限に広がっている、のかもしれません。
(衛藤)
去る4月29日(昭和の日)に、横浜市内某所で澪25号合評会が開催されました。編集長以下同人3人の計4人で、真摯な議論が交わされました。
私の作品「異界」は、澪史上初(だと思います)のホラーSFフォトストーリーですが、さすがに同人諸氏の的確な読み取り方に敬服した次第です。特に、SFとしての構成、視点についてなるほど、そうかと言う指摘、示唆も頂き、ありがたくも「これからも読みたい」と言う声も頂いたのに対して、もう私はこれ一発で、もう書けませんから、と思っていたのが、では、折を見てまた書いてみるかと言う気持ちになったのは自分でも意外でした。ただし、編集長の先生から、あなたの写真の持っているリリシズムは、失って欲しくはないですとのお言葉もあり、拝承です。
私の作品以外にも、他の同人諸氏の間で私とは比べ物にならない高いレベルの指摘、アドバイスなどが行き交い、溜息をつきながら家路についた次第です。ただし、みな眉間に皺を寄せて文学論をぶつ、なとどは程遠い非常にアットホームな雰囲気なので、今回止むを得ず欠席された同人にも、次回からはぜひ参加してもらいたいと思います。私がしっかり底辺を堅めているので、その点で心配することはないです、と言いたいです。
(ん)
2024年4月29日、澪23号の合評会が編集長以下4名の同人参加のもと開催されました。
私のフォトエッセイについては、前回22号の合評会の際の同人からのコメントを受け、大分構成、レイアウトを変えた結果、おおむね好意的な評価を頂きました。
この中で、自分を「偽善者」と規定していることについて、白熱した議論がありました。
自分としては、これまでになく自分の内面に踏み込んだ記述としたため、もう言うことは言い切ったので、次号からどうしようかと心配になっているところです。
(ん)
2023年11月26日、澪22号の合評会が編集長以下4名の同人の出席の下に開催されました。
各人の作品についての濃密な議論が交わされ、私の作品についても有益なアドバイスをいただきました。
私は毎回フォトエッセーを投稿しておりますが、インドの写真をもとにしたエッセーについて、高邁な議論でなくて良いから自分がどう思ったか、何を感じたか、生のままで良いから表出すべきとの指摘があり、その通りだと思いました。
また、最後のインド人の幼い兄妹の写真を撮った際に、「貴方はこの写真を撮った時に、相手に対して何らかの不安、恐怖を与えた自覚はあるか、もしあったとしたら、あなたは相手の人生に対して何らかのコミットをしたことになることを自覚すべきです」と言う指摘を頂きました。写真を撮るということは、そのような重みをもつ場合があることに気付かされました。
(ん)
2023年4月29日(土)に恒例の合評会を開催しました。今回は、最新号である「澪」第21号について、同人各自がそれぞれの読後感や意見を発表し合いました。(写真は会議開始前の会場の様子です。正面に座っているのが編集長で、本会の司会も兼ねています)
作者自身が責任をもって掲載した作品を同人の方々にしっかりと読んでもらい、その上で作品に対する建設的な意見や、疑問などを直接、作者本人に同人たちが投げ掛けるという、いわゆる「ワークショップ」の形式で会議は進行していきます。
わたしは何度も合評会に参加していますが、その都度、新しい発見があり、楽しみなのです。今回も例によって、自分では想定できなかった感想が飛び出てくることがあり「あぁ、まだまだ勉強不足だな」と自分の現在の表現に対するスタンスを見つめ直すきっかけになるのです。ただ、最近は、参加する(できる)メンバーが限定されており、当然のようにマンネリ感が漂っています。マンネリを打破するには、新規メンバーが参加してもらうことがいちばんの近道だとは思うのですが、それは「果報は寝て待て」の精神で乗り切るしかなく、我々、同人は、ひたすら自己の表現を追求していくだけだといまのところは思います。
この合評会が終われば、次号の締め切り(8月下旬)に向けて新作の執筆を始めなければいけません。ぼやぼやしている暇はないのです。
ふりむくな、ふりむくな。うしろには夢はない。
(衛藤)
文芸同人誌「澪」21号が3月に発行され、対面合評会が、連休の初日、4月29日に開催されました。
私の作品についても、同人諸氏からいろいろ有益な助言を頂きました。中身についても、おおむね評価を頂きましたが、編集長より、頁毎の客観、主観という見方とその構成について、目を開かせられるアドバイスを頂きました。これは他の同人諸氏も同じ思いを持たれた様でした。
次に向けて、上記の他に段落の扱い方、わかりやすくするための地図の挿入等有益な示唆を頂きました。
2023/04/30
(んねぞう)
11月3日に恒例の合評会が企画され、参加しました。今回は「澪」第20号についての合評会です。わたしは、第4号から同人として参加しています。なので、今回で16回目の参加となります。「澪」は年2回の発刊、つまり同人として8年間活動しているわけです。8年前って何歳だったけ?
多いときは8名ちかくの人数が集まって、わいわいと文学論や芸術論を戦わせていた時期もあったけれど、それもいまは昔。最近は、4名での開催が常になっています。それでも、面と向き合って意見を交換し合う場にわざわざ駆けつけてくれる人がいるだけで感動モノです。
さて、肝心のわたしの拙作『鬼の寝床』に関する批評はどうだったかというと、書いた本人が、ある意味、納得できていない仕上がりだと確信していたせいか、文学通の皆さんには、そのへんの作者の逡巡がバレバレで、うまく誤魔化すつもりでいた個所をズバリと指摘され「バレたか~」と苦笑するばかりでした。(まぁ、いつもそうなんですが)
原稿用紙換算50枚程度の短編小説でしたが、イベントや伏線(ぽいもの)をばら撒きすぎたせいか、十分に熟した状態で回収することができず、中編小説の途中で閉めた、という感じの出来でした。
そこで編集長から熱く諭されたのが「構成の大事さ」です。小説において文体や表現力も大事だが、やはり構成がいちばん大事なのではないか、という意見です。これにはわたしも深く同意しました。構成に時間をかけるのは、すごい労力で、頭もつかいます。創作時間節約のため、すぐにでも執筆に励みたいという焦りの気持ちも当然湧きます。だけど、小説を組み立てていく上での基礎みたいなものがしっかりしていないと上物も頼りないものになってしまうんだなぁというのが最終的な感想でした。
構成力。それは自分にいちばん欠けているもの。このウィークポイントを認識して、今後も書き続けてみようと、希望ヶ丘地区センターの小会議室でひとり決心した秋の日でした。
(衛藤)
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