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「澪」 20号 合評会の感想について

 11月3日に恒例の合評会が企画され、参加しました。今回は「澪」第20号についての合評会です。わたしは、第4号から同人として参加しています。なので、今回で16回目の参加となります。「澪」は年2回の発刊、つまり同人として8年間活動しているわけです。8年前って何歳だったけ?

 多いときは8名ちかくの人数が集まって、わいわいと文学論や芸術論を戦わせていた時期もあったけれど、それもいまは昔。最近は、4名での開催が常になっています。それでも、面と向き合って意見を交換し合う場にわざわざ駆けつけてくれる人がいるだけで感動モノです。

 さて、肝心のわたしの拙作『鬼の寝床』に関する批評はどうだったかというと、書いた本人が、ある意味、納得できていない仕上がりだと確信していたせいか、文学通の皆さんには、そのへんの作者の逡巡がバレバレで、うまく誤魔化すつもりでいた個所をズバリと指摘され「バレたか~」と苦笑するばかりでした。(まぁ、いつもそうなんですが)

 原稿用紙換算50枚程度の短編小説でしたが、イベントや伏線(ぽいもの)をばら撒きすぎたせいか、十分に熟した状態で回収することができず、中編小説の途中で閉めた、という感じの出来でした。

 そこで編集長から熱く諭されたのが「構成の大事さ」です。小説において文体や表現力も大事だが、やはり構成がいちばん大事なのではないか、という意見です。これにはわたしも深く同意しました。構成に時間をかけるのは、すごい労力で、頭もつかいます。創作時間節約のため、すぐにでも執筆に励みたいという焦りの気持ちも当然湧きます。だけど、小説を組み立てていく上での基礎みたいなものがしっかりしていないと上物も頼りないものになってしまうんだなぁというのが最終的な感想でした。

 構成力。それは自分にいちばん欠けているもの。このウィークポイントを認識して、今後も書き続けてみようと、希望ヶ丘地区センターの小会議室でひとり決心した秋の日でした。

(衛藤)

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Photograph 「秋景」

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(画面をクリックすると拡大できます )

 

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(画面をクリックすると拡大できます )

 この度、澪のブログを立ち上げるにあたって写真をUPしました。地味な風景写真よりは、華やかな女性お二人のショットを選びました。
 お二人にはブログにUPする許諾はいただいてあります。

(石渡)

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只今、構想中(21号へ向けて)

 21号のクラシック日本映画選に掲載する映画評は、以前から書きたいと思っていた山中貞雄監督になる予定です。

 まずは時代背景として山中監督に影響を与えた同時代のジュリアン・デュヴィヴィエ監督『望郷(Pe pe lemoko)』とフランク・キャプラ監督『或る夜の出来事』あたりを再見しながら、論文の端緒にしようかと企んでいます。

 構想の着火点は、山中監督の作風に対するイージーな批評が罷り通っている点に対する不満です。彼は「山中の作品は、ちょんまげをつけた小津映画だ」というコメントを発信しています。彼は著名な映画批評家なので、よけいにたちが悪いのです。いづれの監督も庶民生活を描いているし、カメラの位置が低いローアングルで撮られているという近視眼的な思い込みによるものだと思っています。とくに映像作法はむしろ、対極にあると思っています。それについても力点を置きながら論を進めていくつもりです。

(石渡)

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澪20号 対面合評会に参加して

11月に有志による対面合評会が開催され、その場で頂いた指摘、アドバイスを、今後のための覚書として記しておきます。因みに私は今回からインド滞在中に出会った人々を題材に”People I met in India”というシリーズのフォトエッセーを始めました。

  • 写真と文体の調和あるいはコントラストについて

前回までの津軽のフォトエッセーについては、割合尖った文章だったのに今回は文章のタッチががらりと変わったとのご指摘を頂きました。これは、同じ母語/文化を共有する日本の中での津軽という地域の文化の差異という視点から考察して来た中で、はある程度踏み込んだ考察、描写が許されて来たためです。インドについては、生まれてからのこのような基盤がなく、出張で足繁く通い、それなりに滞在期間は長かったものの基本的には私はインドの表層を撫ぜたTarvellorに過ぎない訳で、津軽のような私なりの理解ができていない状態では、勢い記述が物足りないものになりがちでした。それを踏まえたうえで、改めて調べたり、自分の想像を加えた上で、踏み込んだ記述にして行きたいと思います。

  • この写真でなぜ彼等・彼女等が中間層の子女であることがわかるのか、なぜこの場所にそうでない層の若者が来ないのか、この説明があればもっと厚みが出た

これはご指摘いただくまで全く思いの至らなかった点でした。これまでのインドでの生活の中で、無意識に、その場所と、そこにいる人たちのいでたち、雰囲気、態度等に対するフィルターがかかっていて、読者がどう思って読むかという点からの考慮が欠落していた点であり、ご指摘頂き、目が覚める思いでした。さらに、これらの理由について、私はこう想像するということでも良いから書けば良いということも、貴重なアドバイでした。

  • 今後インドのフォトエッセーにおいて、中間層の姿はなく、専ら路地裏の人達が登場することになるという私の説明だったが、それではなぜ私が(有名な観光地とかではなく)路地裏を好んで取り上げようとするのかについて触れたほうが良い

確かに、これは私の今後のフォトエッセー、というかこれまでの全体の私の態度の核心をなす部分であると思います。これを、どのような感たちで表現して行くか、考えたいと思います。

 

その他ページレイアウト(写真と文章の間隔、段落の最初の行のインデント)で、本として仕上げるための作法についても示唆を頂きました。

(んねぞう)

 

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