Photograph 「春景」

 

Dsc_4201

斜面の日陰を背景に紅白の梅が北風に小さく揺れていた。大池公園の梅林。

紅白の梅の花色に冬の終わりを感じるとともに、もうすぐそれが春色に変わると思うと、少し寂しくもあった。

イメージっぽい仕上がりにしてみました。

(画面をクリックすると拡大できます )

 

Dsc_1615

寿福寺山門の前景に顔をのぞかせていた紅梅を捉えてみた。

中原中也はこの寺の境内で晩年を迎えた。寂しがり屋の中也は仲間がいる鎌倉に夫婦で居を移したばかりであった。長く神経衰弱に悩まされ続けていたが、鎌倉駅前で倒れ、現在の清川医院に担ぎ込まれ、急死する。死因は「急性脳膜炎」であるが、盟友小林秀雄は「狂死」だと言っている。

あまりにもあっけない天才詩人の幕切れであった。享年三十。

少し、情緒に流れすぎた写真かもしれない・・・と思います。

(画面をクリックすると拡大できます )

(H.I)

| | | コメント (0)

澪21号(2023年3月発行予定)の原稿を提出

澪21号の原稿を提出しました。
私は前号に続き、インドの人々に対するフォトエッセーを書かせて頂きました。前号と違うのは、前号はインドの経済発展に伴って新しく勃興して来た中間層の子女の群像を取り扱ったのに対し、今号(21号)は市井の人達を撮ったものを使わせて頂きました。前号の合評会にて、同人の方々から、「中間層」とは如何なるものか?という尤もな質問を受け、一人合点して原稿を作っていた自分の迂闊さに気付かされました。今回はこれを意識して、前号との対比で、わかって頂けるものと思います。

写真はインドで売られていた仕出し弁当(豆カレー, サフランライス、野菜 50ルピー : 当時のレートで90円)

P22524214_20230218125901

(ん)

| | | コメント (0)

合評会の感想について

 11月3日に恒例の合評会が企画され、参加しました。今回は「澪」第20号についての合評会です。わたしは、第4号から同人として参加しています。なので、今回で16回目の参加となります。「澪」は年2回の発刊、つまり同人として8年間活動しているわけです。8年前って何歳だったけ?

 多いときは8名ちかくの人数が集まって、わいわいと文学論や芸術論を戦わせていた時期もあったけれど、それもいまは昔。最近は、4名での開催が常になっています。それでも、面と向き合って意見を交換し合う場にわざわざ駆けつけてくれる人がいるだけで感動モノです。

 さて、肝心のわたしの拙作『鬼の寝床』に関する批評はどうだったかというと、書いた本人が、ある意味、納得できていない仕上がりだと確信していたせいか、文学通の皆さんには、そのへんの作者の逡巡がバレバレで、うまく誤魔化すつもりでいた個所をズバリと指摘され「バレたか~」と苦笑するばかりでした。(まぁ、いつもそうなんですが)

 原稿用紙換算50枚程度の短編小説でしたが、イベントや伏線(ぽいもの)をばら撒きすぎたせいか、十分に熟した状態で回収することができず、中編小説の途中で閉めた、という感じの出来でした。

 そこで編集長から熱く諭されたのが「構成の大事さ」です。小説において文体や表現力も大事だが、やはり構成がいちばん大事なのではないか、という意見です。これにはわたしも深く同意しました。構成に時間をかけるのは、すごい労力で、頭もつかいます。創作時間節約のため、すぐにでも執筆に励みたいという焦りの気持ちも当然湧きます。だけど、小説を組み立てていく上での基礎みたいなものがしっかりしていないと上物も頼りないものになってしまうんだなぁというのが最終的な感想でした。

 構成力。それは自分にいちばん欠けているもの。このウィークポイントを認識して、今後も書き続けてみようと、希望ヶ丘地区センターの小会議室でひとり決心した秋の日でした。

(J.E.)

| | | コメント (0)

Photograph 「秋景」

Dsc_3164-2

(画面をクリックすると拡大できます )

 

Dsc_9423

(画面をクリックすると拡大できます )

 この度、澪のブログを立ち上げるにあたって写真をUPしました。地味な風景写真よりは、華やかな女性お二人のショットを選びました。
 お二人にはブログにUPする許諾はいただいてあります。

(H.I)

| | | コメント (0)

«只今、構想中