23号の合評会を終えて~小説家の嘆き

自身のことを「小説家」なぞと呼ぶのは、誠に間抜けなのだが、今回の記事的には、そう呼称したほうが都合はいいので、あえて作家気取りになってみる。
なんのこっちゃと首を傾げられても仕方がないのだけれども、ピンチである。
なにがピンチかって?
それは「小説を書く人が、わたし一人しかいなくなっちゃた!」ってこと。
我らが文芸同人誌「澪」は、今号で23号。1年に2回発刊しているから、創刊から、およそ12年は経過している。そのあいだ、何度かピンチは訪れた。ピンチの原因で最多なのは、同人が退会したときだ。同人は、それぞれが専門の文芸的な(文化的な)表現方法を持っている。それは小説だったり、写真だったり、評論だったり、詩だったり、俳句だったり実にさまざまだ。特に「澪」はいろんなジャンルの表現体が散りばめられていて、いわゆるバラエティーに富んでいる。なんとも贅沢な同人誌だ。
そんな文芸同人誌というレッテルを貼っているにもかかわらず、小説を書く専門の同人が、わたししかいないという現状に陥ってしまったのだ。前述のとおり、これはピンチである。
実は、もう一人、熟練の小説家(と呼んじゃいます。もう)がいたのだが、今号(23号)をもって退会されたのだ。退会理由は、ご本人の健康状態であるので仕方がないのだが、正直、ショックである。
寂しい!
悲しい!
怖い!
みたいな負の感情に一時期、襲われてしまった。しかも、いつも面白い、刺激的な作品を書いてくださる作家さんだったので、その喪失感はハンパない。ロスである。
たとえば「小説を書いてみたい!」という人は大勢いるだろう。
で、実際に「書きました!」という人は、けっこー絞られる。
んで、「書いたやつを本にしたい!」と願う人は、まぁ絞ったなかには、けっこーいるだろう。
しかし、書いた小説を「同人誌に載せたい!」となるとどうだろう?
しかも「同人になって、年に2作品書き上げるルーティンはOK!」となると、ぐっと該当者が減ると思う。
よっぽど「文芸同人誌」というジャンル(媒体)を好意的に、かつプラスに捉えていないと、なかなか創作は続かないのかなと思ってしまう。この塩梅が難しいのだ。
なんにせよ、ピンチのあとには、チャンスがあると気長に待つしかないのかなぁと、次作を書きながら思いを馳せているところではある。長いけど、いまの気持ちです。

(衛藤)

| | | コメント (0)

「澪」 23号合評会を開催しました

2024年4月29日、澪23号の合評会が編集長以下4名の同人参加のもと開催されました。

私のフォトエッセイについては、前回22号の合評会の際の同人からのコメントを受け、大分構成、レイアウトを変えた結果、おおむね好意的な評価を頂きました。

この中で、自分を「偽善者」と規定していることについて、白熱した議論がありました。

自分としては、これまでになく自分の内面に踏み込んだ記述としたため、もう言うことは言い切ったので、次号からどうしようかと心配になっているところです。

(ん)

| | | コメント (0)

「澪」 22号合評会を開催しました

2023年11月26日、澪22号の合評会が編集長以下4名の同人の出席の下に開催されました。

各人の作品についての濃密な議論が交わされ、私の作品についても有益なアドバイスをいただきました。

私は毎回フォトエッセーを投稿しておりますが、インドの写真をもとにしたエッセーについて、高邁な議論でなくて良いから自分がどう思ったか、何を感じたか、生のままで良いから表出すべきとの指摘があり、その通りだと思いました。

また、最後のインド人の幼い兄妹の写真を撮った際に、「貴方はこの写真を撮った時に、相手に対して何らかの不安、恐怖を与えた自覚はあるか、もしあったとしたら、あなたは相手の人生に対して何らかのコミットをしたことになることを自覚すべきです」と言う指摘を頂きました。写真を撮るということは、そのような重みをもつ場合があることに気付かされました。

(ん)

| | | コメント (0)

22号のエッセー『石渡先生は今何処』について

 これは実話です。もう何十年も以前のことなのに、まるで昨日のことのように鮮度衰えず私の脳裏に蘇ってくる思い出なのです。小学校の四年生という多感な時期であったから余計なのかもしれませんが、この事実は私にとって生涯忘れられない記憶の大きな断片です。

 石渡先生との出来事を思い出すのに全く時間はかかりませんでした。すらすらと書き進めてゆけたのです。極端に言えば一週間前に起こった出来事でも人はとるに足らないと思うと、すぐに自分の記憶から削除し、ごみ箱に入れてしまいます。実は、教師であった母と私のやり取りも書いたのですが、推敲中にその部分をばっさりと切りました。私、母、石渡先生の三者が出てくると、テーマが薄まるような気がしたからです。今回も文章量の判断の難しさを知りました。ともあれ、誰にでもある忘れられない記憶、それが書きたかったのです。

(石渡)

| | | コメント (0)

«澪22号が出来上がりました